最終回のタイトルは「電脳部長回顧録」です。ちなみに電脳部長とは、ほぼ日の創刊メンバーでもある岩田社長の肩書きなんですが、こういう経緯があります。
岩田氏: 知らない人もいらっしゃるでしょうから、当時の話をしておきましょうか。ほぼ日刊イトイ新聞は1998年6月6日に始まったんですが、その1ヶ月ほど前のゴールデンウィークに用事があって、わたしは糸井さんと会ったんです。
それで、そのまま鼠穴(当時、東京糸井重里事務所があった場所)に連れて行かれたんですね。で、糸井さんがおっしゃるには、「ここでホームページを始めたい」と。それが創刊の1ヵ月前です。で、わたしは「こりゃ、たいへんだ!」って。
一同: (笑)
糸井氏: よくわかってないんだよね、自分で(笑)。なにしろ、知識が、まぁ、いまもないけど、いまよりも圧倒的にないからさ。
岩田氏: ぼんやりとしかおわかりじゃなかったからこそ、「1ヵ月後にホームページをはじめる」なんて言えたんだと思うんです。
で、わたしは、すぐコンピュータの手配をして、プロバイダーと契約して、床を這いずりまわってLANの配線して、「こうすれば、最低限のことははじめられるんじゃないでしょうか」みたいなことをしてました。
糸井氏: ‥‥ひどい(笑)。
一同: (笑)
岩田氏: いやー、おもしろかったですよ。それ以来、わたしは「ほぼ日」の電脳部長なんですよ。
糸井氏: だから、そのころからいる茂木なんかに言わせると、岩田さんは任天堂の社長じゃなくて、「
コンピュータを教えてくれるおじさん」なんだよ。いまだに。
茂木氏: うん。
一同: (笑)
1998年と言えば、岩田社長はHAL研究所の社長ですね。スマブラやカービィで知られている桜井さんの上司だったわけで、この頃はまだ誰も任天堂の社長になるとは予想できませんでした。
続いて、Wii発売前に話題になっていた「
サイズはDVDケース3枚分」のお話です。
岩田氏: (「なんとかなる」前提について)リーダーって、そうじゃなきゃいけないんですよ。「なんとかなる」という前提ですべてが動いているからこそ、みんなが「なんとかしなきゃ」って思うんです。
それは、わたしもときどきやるんですよ。たとえばWiiをつくるときに、わたしは「
本体をDVDケース3枚分の厚さにしてほしい」ってスタッフに言ったんです。
もちろん、そうとうたいへんなのはわかってるんですけど、わからない振りしてやるんですよ。
糸井氏: うん。わかるわ、その気持ち。難しさは知ってるんだよね。
岩田氏: 難しいに決まってるんですよ。で、もちろん、そればっかりじゃダメで、無理難題を言うときと、そうじゃないときと、メリハリは、つけないといけない。つねにトップが無理難題を言うばっかりじゃ、組織が回っていかないですから。
糸井氏: 無理難題を言わざる得ない局面が、ときどきあるんですよね。
家庭用ゲーム機としては異例の小ささとなったWii本体ですが、小さいだけに、色々な技術が詰まっているわけですね。ここらへんについては、
社長が訊くシリーズも読んでいただきたいと思います。
続いて、今の任天堂を築く第1歩とも言える
ニンテンドーDSを発表した時の事についてです。
岩田氏: (糸井氏がほぼ日をはじめた理由に対して)それって、ちょうど、任天堂が「
2画面とタッチパネルのゲーム機をつくります」って言ったときと同じなんですよ。
糸井氏: あー、なるほどね。
岩田氏: 多くの人はあの発表を聞いて、「あちゃー、任天堂、変になっちゃった」っていうふうに感じたと思うんです。わたしたちからしたら、現在の延長上に未来はない、と思って決断したんですが、ふつうに考えている人にしてみれば、ただの常識外れに思えるんです。
確かに、ニンテンドーDSが発表された2004年E3時点ではDSの存在に懐疑的な人が多くを占めていましたし、Wiiの発表時も「任天堂が苦し紛れに変なコントローラを出した」とか言われていました。
その商品が本当にすごいのかどうかは、実際に発売して大きな勢力を見せつけてからでないと分かって貰えないのが残念なところですね。
岩田社長は、自分から進んでメディアに登場する面があるので良いですね。貴重な話を知ることが出来たと思います。
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