宮本さん、任天堂と岩田社長について語る
任天堂の宮本茂氏は、自身が任天堂の社員であり続ける理由や、岩田社長との関係について語りました。
これは、
ウォール・ストリート・ジャーナルが宮本氏に対して行ったインタビューでの模様です。宮本さんは、HAL研究所時代の岩田氏について「
ゲームデザイナーというよりはスーパープログラマーで、プログラムの技術がかなり高かった」と、当時のプログラマーが全員、分からない事があると岩田氏に聞いていたというエピソードを披露しました。
宮本氏は、当時と現在との違いは無いとし、「
岩田氏の方が技術を深いところまで知っており、私の間違いを正してくれる。その上で、社長としての経営論を持っている。一方、私は現場の運営者として制作管理の責任を負っている。昔の関係と変わっておらず、そこに経営という要素が加わっただけだ」とコメントしました。
また、ゲームクリエイターの独立が多い中で、宮本さんが任天堂の社員であり続ける理由については以下のように語りました。
WSJ: 任天堂の社長になりたいと思うか。
宮本氏: 社長になりたいと思ったことはない。向いていない。私は外野にいる方がいい。
WSJ: 宮本氏をスカウトしたい企業は多いだろう。宮本氏にとって、任天堂の特別なところは。
宮本氏: もともと、会社は自分のスポンサーだと思っていた。自分が作ったものを世の中で試したいと考えたが、スポンサーを毎回集めるのは大変だ。会社がスポンサーであればいいと思い、任天堂を選んだ。起業して一国一城の主になりたいと思ったことはない。自分にとって会社はどんどんいいスポンサーに変わっていった。スカウトの場合、投資した以上のものを回収したい人がお金を出す。任天堂は目先、投資した以上のものが帰ってこなくとも、もっと長期的に物をみる。
WSJ: ほかの会社で働いてみたいと思ったことは
宮本氏: それはない。任天堂の看板を背負っている方がいろいろな仕事ができる。任天堂とだけは仕事はしなくない、という人はいない。
宮本さんは任天堂について、自身のアイディアを世の中に送り出せる存在で、目先の利益や投資の回収に捕らわれず長期的に物事を見ている企業であると評価しました。
ちなみに宮本さんは任天堂の専務取締役でもありますが、就任当初は会議などに追われ開発現場を見る機会が減った時期があり、岩田社長の配慮で開発にもっと関わることが出来るような仕組みに変わった経緯があります。他のインタビューなどでも「社長にはなりたくない」とコメントしており、開発のトップが最も良いと考えているようです。
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